(第1回 ひおき特産品コンクールで金賞をいただきました)

10月31日、はじめての開催となる「ひおき特産品コンクール」に出品し、金賞をいただきました(賞の名称に変更があり、5つ全ての賞が金賞で統一されました)。
各社3商品まで出品できるのですが、
今回、地元の日置市ではじめて開催されるコンクールなのであれば、梅月堂、そして店主のアイデンティティの一つともいえる「湯之元せんべい」1本にしぼって挑戦したいという思いがありました(店主は「Mr.湯之元せんべい」を自負しています)
10年前、父の急逝を受けて、東京での安定した仕事を辞めてまで跡を継ごうと決めたのは、「湯之元せんべいを残したい」、「(湯之元せんべいのおかげで東京の大学まで出させてもらったので)湯之元せんべいに恩返しがしたい」との思いからでした。
「いつかは東京のデパートにも置かれていて、東京の人でも湯之元せんべいを知っているという存在にしたい」との夢をもって帰郷しました。
ところが、いざ跡を継いでみると、幼少の頃いつも目にしていた「お客様であふれた活気のある梅月堂や、知名度があり誰もが喜ぶ湯之元せんべい」というイメージとはずいぶんと違うものになっていました。
一言でいえば、(地元の方からも)会社や湯之元せんべいに対してネガティブな態度をとられたり、割とというか、時にはずいぶんと失礼な言われ方をすることもたびたびでした。
(一方で、リスペクトの気持ちを持って接して下さる方や優しい言葉をかけて下さる方、価値を感じて下さる方もいらっしゃり、そういう方々に助けられてこの10年やってこられたのです。)
そういった現実をなんとか直視して、イメージの回復に取り組み、少しずつですが若い年代の方も含めて「湯之元せんべいっていいですよね」と言って下さる方が少しずつ少しずつ増えてきた手ごたえのようなものは感じられるようになってきた気がします。
しかし、100年以上も作っている地元の和菓子を地元のコンクールに出品するのはどうなのか、やはり逡巡しました。
審査員の方々には、以下の4点についてご説明差し上げました。
① 湯之元せんべいは、日置市で103年作られ続けていること。
72年前に山椒の葉をのせたところ人気商品となり、お客様方に自然と「湯之元せんべい」(湯之元温泉に行ったら買って帰るお土産)と呼ばれるようになったこと。
② 原材料となる山椒の葉は、日置市・いちき串木野市周辺のお客様宅で摘ませていただき、お礼にワレ煎餅をお渡しして分けていただいていること。
山椒の葉は原材料としては高価であるが、地域の素材を分けていただけるからこそ安価に提供できていること。
③ パッケージデザインや梅月堂のロゴは、時代によって変化があるものの、湯之元せんべいらしさや梅月堂らしさは引き継がれていること。
机2台分と大きなスペースをいただきましたので、歴代の商品パッケージや製法特許状を展示させていただきました。
④ せんべいと名前が付いているけれど、実際には「JAPANESE HERB langue de chat」とでもいうような見た目にも美しいモダンな和菓子であると再解釈できること。
結果は、審査員の方々に、
「ローカルの食品だけど、ローカルっぽさだけを前面に出してはいなくて、オリジナルの洗練されたおしゃれなおせんべいですよね」、
「1週まわって35才を過ぎるとやっぱり山椒が美味しいですよね。子どもの頃は、私はゴマばかり食べてました」
などの温かい声や励ましの声をかけていただくことができました。
やはり、地元で評価していただけるというのは嬉しいものですね。
実は、この半年ほど、湯之元せんべいの技術を使った新商品の開発に取り組んでいます。
私たちは「梅月堂のオリジナルの和菓子で、頑張るオトナをポジティブにする!」ことを使命としていますから、
「定番商品の確からしさに、感性や驚きのエッセンスが加わった和菓子」をお届けしたいと考えています。
驚きのエッセンスの方は試行錯誤を繰り返すしかないものの、定番商品の確からしさについては地元のお墨付きをいただいた気がして、後押しと自信をいただいた気がします。
コンクールの関係者の皆様、お客様方、いつも梅月堂や湯之元せんべいを応援して下さる方々、この度はありがとうございました。
店主

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